下顎遠心咬合位と下顎後退位を示すものは広義に下顎後退症(小下顎症)とよばれます。狭義には、下顎の発育がほぼ正常で下顎の位置が後退しているものを下顎後退症といい、下顎の発育不全で下顎骨の長さ、幅、高さなどが小さすぎるものを小下顎症とよびます。下顎後退症(小下顎症)ではオトガイの小さなものが多いです。オトガイだけが小さく、ほかの部位の発育が正常なものは小オトガイ症とよばれます。
下顎が上顎に対して後退位をとるため、中顔面が突出し上顎前突を思わせます。また、突出した上顎前歯の下で下唇が翻転し、オトガイ唇溝は深くなります。オトガイが著しく後退しているものは、いわゆる鳥貌を呈します。 両側性の発育障害では顔面は対称性を示しますが、片側性のものではオトガイが患側に偏位し、健側が扁平で患側が膨らんでみえ、顔面は非対称を示します。下顎枝が小さいものでは、下顎角が後上方にあって角前切痕が深いです。 咬合状態は、下顎遠心咬合、すなわちAngle II級を示します。AngleII級には、上顎前歯の前突を示すAngleII級1類と上顎前歯の後退を示すAngleII級2類とがあります。さらに、垂直的な骨格不正のために開咬あるいは過蓋咬合を示すものがあります。水平的な不正では下顎歯列弓の幅径が小さく、臼歯部が鋏状咬合を示すものがあります。 頭部X線規格写真分析では、下顎が頭蓋や上顎に対して後退位にあることから顔面角facial angleやSN-Pog角とSNB角は小さく、NA-Pog角(余角)やANB角は大きくなります。 垂直的な骨格不正の特徴から、FMA(Frankfort平面に対する下顎下縁平面のなす角)やSN-MP角(前頭蓋底平面に対する下顎下縁平面のなす角)などの角度と前下顔面高が比較的大きく開咬を示すものと、逆にFMAやSN-MP角などの角度と前下顔面高が比較的小さく過蓋咬合を示すものがあります。 このような形態異常は、咀嚼、嚥下、構音などの機能障害や審美的障害だけでなく、心理的側面にも悪影響をもたらします。
下顎前方移動術はObwegeser法(1957)を改良したDal Pont(1961)、Hunsuck(1968)、Epker(1977)などの方法が用いられています。Dal Pontは骨の接触面積を広くするために、下顎骨の矢状分割範囲を下顎枝から下顎体まで広げました。このretromolar osteotomyには、下顎枝内側骨皮質を下顎枝後縁まで分割するsagittal retromolar osteotomyと下歯槽神経血管束の後下方で分割するoblique retromolar osteotomyとの2つの方法があります。後者は、術後に下顎の安定性が得られやすいように、遠位骨片を移動しても内側翼突筋と咬筋の位置が変わらないように考案された方法です。この方法は、内側翼突筋と咬筋が近位骨片に付着しており、遠位骨片を反時計回りに回転移動するときの抵抗が少ないので、開咬を伴う下顎後退症(小下顎症)にとくに有効です。わが国では、sagittal retromolar osteotomyはObwegeser-Dal Pont法として用いられ、またoblique retromolar osteotomyに準ずる方法としてはHunsuck法あるいはEpker法などの改良法があり、Epker法が特によく用いられます。Oblique retromolar osteotomyだけでなくHunsuck法やEpker法なども下顎下縁の骨皮質が外側骨片に含まれ、内側骨皮質が下顎下縁から下顎管近くの高さで割れることが多いです。そのため、神経を損傷する危険性が高くなるなどの難点があります。 この点を改良するために、私は歯槽骨ノミを用いて下顎下縁の骨皮質を分割しています。なおWolford(1990)は、下顎下縁骨切り用鋸を用い下顎下縁を骨切りする方法を発表しています。
下顎枝の劣成長が著しく下顎枝矢状分割術を適応できないもの、あるいは下顎体の非対称や上下歯列弓の幅径の不調和が著しく下顎枝矢状分割術では形態改善が困難なものを除くと、ほとんどの下顎後退症(小下顎症)に本法を適応できます。
手術部位にエピネフリン含有1%キシロカインを注射します。下顎枝前縁をふれ外斜線に沿って頬筋筋膜上で15番メスで粘膜を切開し、下顎体では臼後部から下顎第二小臼歯の位置まで、口腔前庭最深部から歯槽部よりの粘膜骨膜を切開します。ついで、下顎体外側面と下顎下縁の骨膜を下顎枝前方外側面から第一大臼歯まで確実に剥離し、プロゲニーリンネを下顎下縁にかけます。 下顎体外側面の骨膜を剥離するときに、大臼歯部の位置では下顎下縁近くには筋が付着しているので、外側面の骨膜剥離を下顎下縁近くまで直骨膜剥離子で確実に行ってから、下顎下縁を曲骨膜剥離子で剥離すると骨膜や付着筋を剥離しやすいです。下顎枝前縁の骨膜と側頭筋を筋突起の高さまで十分に剥離し、筋突起前縁に下顎枝鉤(ラムスハーケン)をかけます。ついで、下顎枝内面の骨膜を下顎切痕と下顎小下の間で下顎枝後縁まで剥離し、下顎枝後縁にチャネルリトラクターをかけ、下歯槽神経血管束や周囲組織を保護します。下顎枝後縁まで骨膜を剥離せずに、ジングラスリトラクターなどで下歯槽神経血管束を保護しながら骨切りを行うこともできます。
下顎枝前縁で内面の骨皮質を洋梨状の骨バーで皿状に削除し、下顎枝内面を明視しやすくします。下顎小舌の直上を下顎孔のわずか後方までLindemannバーで骨切りを行います。 下顎骨体外側骨皮質の骨切り線は、下顎第一小臼歯あるいは第二大臼歯の位置で、咬合平面に垂直になるように外斜線から下顎下縁までをLindemannバーあるいはフィッシャーバーで骨切りを行います。ここの骨切りは、外側骨皮質にベベルを形成するように遠心へ、そして下顎下縁からわずかに内側骨皮質に切り込むように骨切りを行います。これによって歯槽骨ノミによる下顎下縁の分割操作が容易になります。 最後に内外側の骨切り線を結ぶように、下顎枝前縁で外斜線の内側に沿ってフィッシャーバーで骨皮質の骨切りを行います。
矢状分割するときには、まず歯槽骨ノミあるいはスプリティング骨ノミを外斜線に沿った骨切り部に5~6㎜ほど打ち込んで骨皮質の骨切りが確実に行われていることを確認します。 次に下顎体部の垂直骨切り線のところで、下顎骨外側骨皮質内面に沿わせて下顎下縁まで歯槽骨ノミを進めて、下顎下縁のやや内側の位置に刃先をおき、ハンマーで槌打すると下顎下縁の骨皮質にひびが入ります。このあとに、ウェッジ骨ノミを臼後部の位置で骨切り部に打ち込んで骨ノミを回転させ外側骨皮質を開くようにすると、内外骨片が下顎下縁に沿って割れてきます。 下縁の骨皮質が完全に分離しないときは、歯槽骨ノミで再度下縁骨皮質を分割するか、下縁の骨皮質が割れているところに幅狭の骨ノミを入れ、顎角に向けてこじあけるようにしながら分割します。下歯槽神経血管束が外側骨片内を走行しているときは、粘膜剥離子で外側骨片から注意深くこれを剥離します。 反対側も同様の方法で骨切りと矢状分割を行います。
予定した咬合状態で作製したバイトスプリントを装着し、これを基準に下顎骨を前方に移動し、0.3㎜金属線で顎間固定を行います。モデルサージェリーであらかじめ計測しておいた下顎骨移動後の下顎体部垂直骨切り線の近位骨片と遠位骨片の位置計測に基づいて、近位骨片の位置を決定します。このとき、下顎頭が下顎窩内の適切な位置にあることを触診で確認します。 近・遠骨片の接合には、ロッキング・プレート接合が選択されます。
下顎枝外側部にペンローズドレーンを挿入しておき、創を縫合します。